まゆげおねいさんの迷走

音大生の自己満ブログ。音楽と日常とジャニーズについて書いてます。

Ravel考

ラヴェルは音楽史上考えても特に知的で、オーケストレーションの天才と呼ばれる。先人の技法を重んじ、古い枠から出ずに、しかし彼独特の革新的な楽曲を生み出した。関係ないが人柄なども素敵である。


しかし私は自分のレパートリーにラヴェルを加えたいとは思わない。ラヴェルの音楽に限らず私はフランスものの音楽はなんとなく興味が湧かない。完成度に文句を言うとか、駄作だというのでは決してない。むしろ、完成度が高すぎるため、ただ楽曲が存在するというだけで芸術として成り立っている気がするのだ。ラヴェルは特に譜面だけで芸術である。ダフニスとクロエなんて、こういう曲をラヴェルが書いたというだけでもう十分なことであるように思った。


私はラヴェルの音楽について、良くも悪くも、魔法、ファンタジーの音楽と思っている。それ以上それ以下でもないと思う。もっと正直に言うと、ラヴェルの音楽は、”ハリーポッター的”だと思っている。わたしはハリーポッターが嫌いなわけではないし、最初の何冊かはバッチリ本で読んでいる。続きが気になって一気に分厚い本を読んだ記憶がある。

しかしシリーズを読破していないのには理由がある。私はハリーポッターたちと一緒にホグワーツに行っても、帰ってくるときに私自身は何も成長していないと感じるからだ。あの世界にいるときは現実の世界や、我を忘れて、あの素晴らしい、ローリングの作り出した世界に没頭している。あんなにも強烈に、鮮明に、生々しく、人を引き込むような世界はなかなか他の本には無い。しかし、それだけだ。それ以上何もない。読み終えれば終わりで、また同じ自分と同じ世界に帰ってくるだけである。なんの教訓も無い。息抜きのようなものだ。私の思う芸術…いや、とりあえず今は文学ということに限れば、受け取る側の解釈に多種多様の可能性があることが良いものとされる、と思う。同じ本を読んでも、何を思うかは色々であってほしい。しかしハリーポッターはそうではない。誰からみてもホグワーツで、誰からみてもハリーポッターである。


似たようなものをラヴェルに感じる。ラヴェルの音楽は素晴らしい。ハリーポッターだって素晴らしい。あんなにもこの世を忘れさせるような、魅惑的なものは他にない。しかし、それをわざわざ自分が弾く必要があるのか?ラヴェルの完成度の高さ故、誰が弾いても同じだと思ってしまう。もちろん少しは違うがラヴェルの音楽の大きなビジョンというのはラヴェルの才能故に明確すぎる。アルゲリッチラヴェルは素晴らしいが、あれが素晴らしいのはアルゲリッチの弾くラヴェルではなく、ラヴェルを弾いているアルゲリッチが素晴らしいとしか思えない。おおざっぱな部分は誰が弾いたって同じだと思ってしまう。

ヒントにならないかと、フランスの絵画をみたりもした。あの鮮明さ、あのリアルさが醍醐味だというように思った。ある物がある物であることのリアルさ、本当に目の前にあるような生々しさ、ある種の均衡。ロマン派とは違う。わかる。それはわかる。それはそれで素晴らしいと本当に思っている。しかし、そういう作品を演奏する中で、私は何を表現できるのだろう?リアルで生々しく、そしてラヴェルの影に徹して精一杯ラヴェルを再現することで、私の存在、私の主張はどこへ行ってしまうのだろう?